指導者だからこそ、違和感を受け入れる勇気

私は28歳でコーチになり、長きにわたって指導者をさせてもらってきました。

右も左もわからない状態でコーチになり、そんな私が心がけていたことが一つあります。それは「違和感を受け入れる」ということです。ただ、初めはそれが出来ませんでした。

 

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頓所理加ブログ
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指導者になりたての頃、どこか固執した考え方が強くなっている時期がありました。自分自身で必死に野球を勉強し、練習メニューを考え、それを子供たちにしっかりと伝える。「指導者とは、こうでなければならない」と、変に重く考えていたのかもしれません。当時は、押しつけも強かったかなとも思います。

 

でもすぐに、その自分自身の姿勢に「違うな」と感じるようになりました。改めて自分のなりたい「指導者像」は?と考え、その時思い出したのが、高校時代の監督でした。

 

実は、大人になってから高校時代の監督と話す機会がありました。監督は「あの頃の俺は、若かったんだよね。もっとこうすれば良かったと思う事はたくさんあって、何度も軌道修正したなぁ。選手達には、色々付き合わせたね。」と私に懐かしそうに言いました。「俺は、選手達に成長させてもらったからね」とも。そんな風に、今になって教え子に言える監督は、とてもかっこよくて素敵でした。勝負の世界で結果も出し、選手達にも慕われていた監督。そんな監督の言葉だったからこそ、とても胸に響きました。自分自身の違和感を受け入れる事で、指導者として成長できることを、私に教えてくれたのです。

 

それを思い出してからは、自分らしく指導にあたれるようになりました。教え方・伝え方で「なんか違うな」という自分の中での違和感が出た時には、そこを大切にし、軌道修正をする。そうすると今まで見えてこなかった「選手の変化」も不思議と見えるようになりました。初めから完璧な指導者なんているわけないので、少しずつ成長していけばいい。そう思えるようになりました。

 

こうして私は「野球」を通して多くの事を学ばせてもらっています。それは、今でもです。

 

だから選手達にも「野球」をする上で、野球の技術だけでなく「それ以外の事」もたくさん学んで欲しい。そう思っています。

 

いつか選手達も大人になり、そして社会に出る。たくさんの壁にもぶつかると思うんです。そんな時「野球をしてきて良かったなぁ」と感じてもらえたら、その時が一番「指導者をしてきて良かったな」と思える気がします。