女性だって野球をしたい

ブログを書かせてもらえることになり、本当に嬉しく思います。なぜなら、伝えたいことが沢山あるからです。私は小さいころから野球が大好きで、自分が女の子であるがゆえに、野球にはなかなかたどり着けずに来ました。いま、このような機会をもらえた事に感謝しながら、お母さん目線、また女性目線で、野球について書いていこうと思います。

 

 

テキスト : 頓所理加 →プロフィール

私が所属している「ヒロインズ」のメンバー。黄色い枠が私です。
私が所属している「ヒロインズ」のメンバー。黄色い枠が私です。

 

私は、幼い頃から沢山の習い事をしていました。平日毎日習い事でいっぱい。ピアノ、そろばん、絵画教室、英語、学習塾…「女の子らしく育ってほしい」という両親の想いを一心に習い事に通い続けました。ただ、心のどこかで「やらされている」という意識があったのも覚えています。

 

そんなある日、テレビで観た甲子園の試合を見て、心臓が高鳴りました。高校球児が、全力で白球を追いかける姿に「このスポーツをやりたい!」と心から。選手達から、目が離せなくなりました。そして、その時点ではまさか女の子が野球を出来ないとは、知る由もありませんでした。

 

それから親に相談し、河川敷のグランドにも通い野球をしたいと伝えましたが、親からも、そのチームのコーチからも「女の子は野球なんて出来ないんだよ」と断られました。なぜ、女の子は野球が出来ないのか?当時の私はまったく理解が出来ませんでした。

 

数か月後、私は縁あって、ソフトボールチームに入ることになります。親友の女の子の誘いでした。心のどこかで「野球じゃない…」とひっかかりもありましたが、野球と似た動きが出来ることが嬉しかったのも事実で、ソフトボールの魅力にあっという間に惹かれました。

 

そして、小学生の頃の私が所属していたチームには、当時としては珍しい女性のコーチがいました。彼女は、男性の指導者にも負けないくらいプレーもカッコよく、一緒にノックに入るのが楽しくて。気づいたときには「いつか私もコーチの様になりたい」と想うようになっていました。一番最初に思い描いたコーチ像です。

 

大人になり、私も初めて学童野球チームでコーチとなり、久々に当時のコーチに連絡をしました。「コーチになりました」その言葉を聞いて、真っ先に「りかは、いつか指導者になるんじゃないかと思っていた」と言ってくれて、私の背中を押してくれました。その時、気づいたのです。コーチの言葉にはいつも「力」がある。選手のやる気を引き出す力、選手をその気にさせる力。

 

野球の技術や、ルールを教えることも、コーチとしてはとても大切な仕事。でも、同じくらい、選手の可能性を引き出せる力は大切で、私自身が、コーチに憧れていたのはその「力」だったのだと想います。

 

正直、コーチになった当初、女性のコーチが他に居なかった為に、肩身が狭い想いをする事もあり、心が折れそうになったり。それでも「野球をしたい」という夢が捨てれずに、葛藤を抱えながらのコーチのスタート。久々に笑顔で背中を押され、不思議と自信が出てきたのを覚えています。あれから20年も経っているのに、やっぱり私はコーチの教え子で。「いつか私も、こんな指導者になりたい」と想いました。やっと、野球のスタートラインに経つことが出来た28歳の頃の話です。