バイタルネット硬式野球部マネージャーを務められていた小松田眞福さんは、私の中でも1・2を争う熱いマネージャーさんでした。そんな彼が、引退すると聞き、インタビューを企画しました。社業に専念するため野球部を離れ、地元秋田へ戻るこを決断した小松田さんに「マネージャー業」についての想いを取材しました。
小松田さんは、横浜商科大からバイタルネット硬式野球部に入部。2年間の選手生活後に、自分自身で引退を決意し、2018年10月頃からマネージャーとして4シーズンを務められました。
テキスト : 頓所理加 →プロフィール
──選手を2年で引退しようと思ったきっかけは何ですか?
小松田 実は、社会人になって思うように野球が出来なくなりました。イップスですね。それでも2年間は頑張ったのですが、もう限界だなと。あの当時は、野球を嫌いになっていました。怖いという方が正しいかな。
──では、「辞めます」と引退を切り出した時に、マネージャーになろうと思った理由は?
小松田 実は、きっぱり選手を引退して、野球からは離れるつもりでした。でも、当時の佐藤英司監督が「マネージャーをやってくれないか」と声をかけてくれたんです。正直驚きました。野球をすでに嫌いになっていたので「少し考えさせてください」と時間をもらいました。正直、野球を辞めてからの人生のほうが長い。だからこそ、野球はきっぱりと辞めて、社業に専念して新しい人生を歩もうと当初は思っていました。
──マネージャーを引き受けた理由は?
小松田 結構悩んだのも素直なところですが、野球界への恩返しになるかなと考えました。「必要とされているのなら」と気持ちを切り替え引き受けました。
──あまり乗り気ではないスタートだったのですか?
小松田 はい、そうです。最初のころは(笑)。でも、そんなことも言ってられないような状況がすぐに訪れて。野球部の仙台への移転が決まったことで、忙しさは急に倍になりました。おかげで自分自身の気持ちがどうとか思う余裕もなかったですね。
マネージャー業を覚えることと、新しい環境を整えることに全力でした。ちょうど、監督が加藤監督に代わるタイミングでもあって、チーム内の声を聴いたり、スタッフとの橋渡しをしたり。あっという間に一年がすぎました。
──私の目から小松田マネージャーは、とても熱意のあるマネージャーさんに見えていました。他のチームの方とは一味違うというか「チーム愛」が凄いと感じていました。
小松田 そんな風に言っていただけるのは嬉しいです。でも、たぶんそれは、僕が必死だったからかもしれません。やるからにはちゃんとやりたい性分なので。それと、マネージャー業の意味がわかるにつれて、やりがいを感じるようにもなりました。
選手たちが野球に向き合う姿勢が変わり、努力を惜しまない姿を見せてくれるようになってからは「勝たせてあげたい」と本気で思うようになりました。気づけば野球への情熱も戻っていました。
──バイタルネット硬式野球部の魅力は?
小松田 沢山あります。語り切れないくらいです。野球がうまいとかではなく「人として」というところに磨きがかかった選手たちが多い事ですね。僕が言うのもおかしいですが、本当にみんな成長しました。
どんなに野球が上手くても、挨拶が出来ない、掃除が出来ない、態度が悪いでは、応援されませんからね。いまの選手たちは、野球の練習はもちろんですが「それ以外のこと」にも真剣に取り組んでいます。人として当たり前のことが出来るように。
言葉にすると、普通すぎますが、それが本当に一番大事だと思うんです。今は、野球にも全力で向き合い、内面も成長しようと努力する選手たちが多いのでチームとしても魅力にあふれていると思います。勝たせてやりたいとどんどん思うようになりました。
インタビューを終えて
2018年の年末に仙台に野球部が移転し、新しい環境を迎えたバイタルネット硬式野球部。思うように野球の練習が出来ない日々も続き、チーム内のバランスを大きく崩したと言います。それでもマネージャーとして自分に何が出来るかを自問自答し、選手への声掛けや精力的なSNS発信を始めた小松田さん。
話を聞いていて感じたのは「自分自身を信じる力の強さ」です。何年続けるかわからないからこそ、一年一年を精一杯マネージャーとして勤めようと決意。特にSNSでの発信は、野球部としても新たな試みで、Instagram等で選手の練習風景などを動画でUPしました。「戦力を分析されたら」という不安よりも、新潟を離れた野球部が忘れられないように、ファンの皆さんに頑張る選手たちを見せたい気持ちが強かったといいます。
仙台への移転に伴う環境の変化だけでなく、佐藤監督から加藤監督へとチームスタッフも変わり、チームとしては大きな過渡期だった年にマネージャーを引き受けたことで「自分自身、本当に大きく成長をさせてもらいました」と語る小松田さん。マネージャーになったからこそ初めて見えてくる事も多かったといいます。
3年目の頃には、選手全員が当たり前のように仕事の後に夜練習もするように。チームスローガンでもあった「継続」が定着し、チームの雰囲気も良くなりました。勝つことへの意欲もみられるようになり、選手たちからは挑戦する姿勢や、頑張り抜く姿も見られ「勝てるチーム」への成長を感じました。そして、日本選手権北信越予選で優勝をおさめ代表権を勝ち取ることとなりました。
2021年、2022年と二年続けて日本選手権に出場をしたバイタルネット硬式野球部。小松田さんは、マネージャーになることを決意し、走り続けてきた道が正しかったと感じる瞬間だったと言います。
マネージャーを終えて今思うことは「とにかく引き受けてよかった」という事。この経験は小松田さんにはとても大きく、野球への意識も180度変わり、野球が好きな自分に戻れたことで大きな成長と自信を感じられました。
これから先は社業に専念するため、地元秋田に戻り新しい道に飛び込んむ小松田さん。大学卒業からずっと野球畑にいたので、今必死に頭を切り替え毎日が勉強と笑います。
今回のインタビューで私が感じたことは「人生はわからない」ということ。
自信を持って入った社会人野球。そこで大きく挫折を経験し、野球からは離れると決めた小松田さん。そんな彼にマネージャーとしてチームに残って欲しいと声がかかり、本来はここも苦しかったはず。でも、人生どんな経験にも無駄なものはないとよく言うように、ここからの4年間が小松田さんにとって人生の転機となり、今では希望に満ちた笑顔で野球の話をしてくれる。
「自分の人生をこうだ」と決めているのは、実は自分自身で。その先に何が待っているかは誰にもわからない。そして、小松田さんはやっぱり「野球」が好きで「自分なりの一番いいかかわり方」に出会ったのかもしれない。
私が「1・2を争う熱いマネージャー」と感じた小松田さんは、やっぱり野球に熱い人でした。まぎれもなくトップレベルに。そして、熱いからこそ、苦しくなったり辛くなったりする時期もあったのだろうと思います。これから、また違う道に新たに挑戦する小松田さんは、社業に専念しながらも「またいつか野球には関わりたい」と未来への夢も聞かせてくれました。
そして最後に「これからも選手たちが、沢山のみなさんに試合を観てもらえて、応援してもらえることが願いです」「新しいマネージャーも今頑張っているのでよろしくお願いします」と、これからのチームのことも忘れていないあたりが小松田さんらしいなと感じました。
〈協力〉バイタルネット硬式野球部
〈写真提供〉NAMIKAZE